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中国語 「主語のない文」という分類(6月5日)

今週のまいにち中国語入門編(楊光俊先生)第27課に以下のようなレッスンポイントがありました。

3. 主語のない文の文末の"了 le"
主語のない文の文末に置く"了"は「~になった」という変化を表します。
(1) 下雨了。 雨が降ってきました。(放送内の補足:「雨が降りました」ではありません)
(2) 吃饭了。  ご飯ですよ。(ご飯を食べる時間になった)(放送内の補足:「我吃饭了。」私はご飯を食べました。)

私は教え方の工夫というのはあっていいと思いますので、「主語のない文」というくくり方を持ち出したのは、いいかもしれないと思いましたが、ちょっと待て。(1) と (2) はジャンルが違わないか。(1)の文はすでに雨が降り出したという変化であり、(2) はこれからご飯を食べることになったという「未来」ですね。
(ちょっと待てはもう一つあって、(1)の文を見て「雨」は主語じゃないのかと思う初習者がいるだろうことも。)

ここで私の好きな「中国語わかる文法」の本を見てました。説明を打つのは面倒くさいので、主に例文を挙げます。

No.238 文末助詞 "了"

[1]① 下雨了。(雨が降り出した;雨だ.)
  ② 他已经回国了。(彼はもう帰国した)
  ③ 她今年五十岁了。(彼女は今年50歳になった)
  ④ 春天了。(春になった;春だ)
[2]① 开会了!(開会します)
  ② 明天星期三了。(明日は水曜日だ)
  ③ 快要下雨了。(もうすぐ雨が降りそうだ)
  ④ 他后天就要回国了。(彼は明後日にはもう帰国する)

[1]は新しい事態がすでに発生している場合。名詞性の述語でも良い。
[2]はこれから発生するか、いま発生しようとしている場合。
(この後の[3]~[6]もありますが、省略します。)

やっぱりこのように分けて教えた方が良くないかなあ。というか、私は分けて覚えています。それと文末助詞を使ったというのがポイントであって、主語のあるなしはやっぱり絶対条件ではないのでは?例えば「我走了。」(私は帰ることにしました=これで失礼します)は、この文末助詞[2]のパターンと思いますが、主語あるじゃん!(単なる定型表現=イディオムだから?)

善意に解釈すれば、NHKテキストはわざとジャンルの違う例文2つを挙げたのかもしれませんが、あるいはネイティブ講師だから、これらが違うと思わないのかもしれないなあ。
皆さん、どう思われますか?

by L-monger | 2011-06-05 12:33 | 中国語 | Comments(15)  

Commented by p3-saito at 2011-06-06 00:23
ぇ~、気の早い私は記事の半分を読んで、すぐコメントしたくなり
(そこをグッと我慢してひと通り全部読んで)
でも、いつもの何も調べないでコメントしちゃうけど(^^;
まず(1)は存現文ですが、(2)もそぅなのかな?
また(1)も(2)も语气助词の“了”で意味はどちらも変化を
表わすのは共通してるかと。
(1)雨が降る状態になりました(よ)。
(2)ご飯を食べる状態になりました(よ)。
“了”は過去を表わすわけではないので、あえて過去・現在・未来と
区分する必要もないかと思っています。
(ここは“吃饭了。”が存現文かというのがキーポイントになる気するが)
暇があったら調べてみるかも。
ちなみに“我走了。”も「私は帰る状態になりました(よ)。」ですよね。
Commented by L-monger at 2011-06-06 12:12
えと、Saitoさんの意見では、(楊先生どうよう)この二つを区別して教える必要はないということですね?なるほど~、それが大陸的感覚なのかあ。(「吃饭了。」は存現文ではないでしょう。「V+O」構造ですもの。)

ところで「我走了。」が「帰ることにします」の意味になるのって、状況によるものですよね。最近気づいたのは、中国語は言葉だけ見ても意味が確定せず、前後やその場の状況にあわせて意味が変わる、ミラクルな言葉だということです(現在過去未来の区別も含めて)。「我走了。」は「私は立ち去りました」の意味になる場合もあるんですよね?例えば(下手な作文をしますと)、「昨天我走以后,你干什么了?- 我走了。」とか、どうすか?
Commented by p3-saito at 2011-06-07 13:48
ぅ~ん、ちょっと(だけ)調べちゃったじゃないの。
私の先生(の1人)の讃井唯允先生のNHKラジオ中国語講座テキスト'02-11月号では
文末助詞“了”の使い方を(1)~(8)まで書いてて
(6)で意志(「これからする」)の“了”として“我走了。”
(7)で発生(「あっ,……だ」)の“了”として“下雨了!”
(8)で喚起(「……ですよ!」)の“了”として“吃饭了!”
をいくつかの例文と共に挙げてて、まぁ区別してるっちゃぁしてますが…。
また、荒川先生のNHKラジオまいにち中国語テキスト'08-9月号には
「荒川先生の課外授業」のページ(P.109)で
・“她走了。”は「彼女は行ってしまった。」が多いけど
 “我走了。”は「私は帰ります。」としか解釈できない
と書いてますが,これは荒川先生以外の本では記載みつけられず。どぅょ?(^^;
(どっかで観たデジャブ感あるんだけどなぁ…)
Commented by L-monger at 2011-06-08 12:20
Saitoさん、ありがとございます。そんなに気を使わないでもよかったのに。

讃井唯允先生の「我走了。」が「意思」というのは面白い考え方ですね。これって応用がきくのでしょうか?例えば「我吃了。」で「いただきます」(私は食べることにしました)みたいな意味になるのかなあ。

荒川先生の「“我走了。”は「私は帰ります。」としか解釈できない」というのはSaitoさんの解釈ですか?今そのテキストに当たってみたら、「“我走了。”は変化の「了」としか解釈できません」と書いてあるだけみたいですが。でも、ときに完了の「了」を含む場合があるとも書いてある。むむむむむ。
(先のコメントで私の出した“我走了。”の例、変と思いますか?“我也走了。”とすれば意味がはっきりするのかな?)
Commented by p3-saito at 2011-06-08 21:47
ん~、調べに深入りすると私のバイブルを持ち出すことになるので
この辺で許してね❤(^^;
応用(?)の“我吃了。”が「いただきます」の件はどぅなのでしょうね。“吃饭了吗?”の応答で“我吃了。”は「食べました。」ですよね…。と思って『聴く中国語』のちびまる子ちゃんを見直したら「いただきま~す。」のセリフの中国語が“我吃了。”でしたょ。
ん?荒川先生の件はその通りですが、変化の“了”が「帰ります」で完了の“了”が「行ってしまった」と先生は述べてると思います。それは荒川先生が『一歩すすんだ中国語文法』のP.128でも
・我走了。(私は帰ります。)を同じように説明することは困難です。
 これは「帰ることにした」という意味ですから,どう考えても
 “了2”しかかかわっていません。
と書かれていたからでした。
Commented by p3-saito at 2011-06-08 21:47
(荒川先生の説が正しいかどうかは先のコメントの様にほか複数者の記載をまだ見つけ出せてないので何ともいえませんが)少なくとも荒川先生は“我+走了。”に関してだけは変化の“了2”⇒「帰ります。」にしか訳されないと主張してるのだと思います。(私は)“走”という単語自体がもつ意味合いに何か完了を許さないものがあるのかなぁなどと想像したりもして…。
あと、ついでに存現文のことを昔は(中国/日本でも)無主語文と称してたのを『中国語教科書』で見てたことを書き忘れてました。
Commented by L-monger at 2011-06-10 15:36
Saitoさん、遅くなりました。昨日は締め切りに追われて、ほかの事を考えるヒマがありませんでした。
荒川先生の解釈について、了解です。「"走"は完了を許さない」って、もし本当なら面白いですね~。

「いただきます」で思い出しました。どの先生が言ったか忘れましたが、日本語みたいに一方的に「いただきます」という習慣は中国にはない。つまり、「さあ、食べて」と言われて「では、いただきます」というやりとりが普通らしいです。だから“我吃了。”ではなくて、“那我就吃了。”ぐらいは言わなくてはその意味にとらえにくいのかもしれません。ちびまるこちゃんは日本のアニメなので、日本の習慣どおり、一方的に“我吃了。”と言ったのかもしれませんが、これは翻訳だからそう思ってもらえることなのかもしれません。(「しれません」が多すぎるかもしれません)
Commented by p3-saito at 2011-06-10 17:03
ぁ、ちょっと言葉が足りませんでした。
(“她走了。”は完了OKらしいとしてるので)“我”と“走了。”の組合せに完了NGの語感(?)か何かがあるのか…(根拠はなく理由も全くわかりませんが)。
「いただきます」の件はいろんなとこでよく眼にして、私も中国(や英語も?)にその習慣はないと見てたけど、そのわりに日文中訳の様にあえて言うならどう言うかという記載はどこにあったか探し出せなかったりします。ぁ、また1つ思い出しました。「いただきま~す。」で“我们先吃啦。不客气啦。”とまる子がたまちゃんと一緒に言ったセリフが…(私の生活用語はちびまる子頼りか!^_^;)。でも,まるちゃんのは生活に根ざして自然で挺地道的なのですょこれが♭
Commented by p3-saito at 2011-06-11 00:57
なんと!さっきこんな記事を発見してしまいましたょ。
(h)ttp://kiriha.mo-blog.jp/learn_chinese_together/2011/05/2_4c6b.html
そういえば、“我走了。”は言うけど“我走。”は言わなかったっけかな。(“我去。”は言っても“我走。”は言わない?)
Commented by xiaoq at 2011-06-11 13:22
やっと私もこの回を聞きましたが、文法説明は「???」でした・・・orz

「中国語わかる文法」を見ると
「32主述文と非主述文(P.45)に
5.下雨了
という例文があって、その説明に
「(略)このような自然現象の表現では主語を補うことができない(無主語文)」とあるので、「主語のない文」という分類は間違いではないようです。

「75出現文と消滅文(P.95-96)」を見ると
「“下雨”など、自然現象で賓語が動作主となる例がある」
という説明がありました。

「雨」は主語じゃなくて賓語なのですね。(にもかかわらず動作主なのですね・・・)

でも入門者に「主語のない文」という説明がすんなり理解できるのかなあと疑問です。
私だったら「出現文」で文法説明してもらうほうが分かりやすいと思いました。

この回は「~過」も「~了」も同時にやるので頭がさらにごちゃごちゃになりました。


「たかが中国語されど中国語」さんの「「了2」 の使い方のうやむやを晴らしたい」
://kiriha.mo-blog.jp/learn_chinese_together/2011/05/2_4c6b.html
という記事があって、ユニークな説明で分かりやすかった。
「我先走了」,「我先吃了」の考え方は面白かったですよ。
Commented by L-monger at 2011-06-12 12:05
Saitoさんもxiaoqさんも同じkirihaさんのブログにたどり着いたのですね。kirihaさんがSaitoさんの質問に答えてくれるのを興味深々で待ってます(笑)。

しかしここで感想を言いますと、了1(動詞直後)と了2(文末)は本来別々の単語として扱われるべきだと思いますが(意味が異なるので)、同じ文字・発音だから、我々外国人にとって分かりにくいですね。しかも賓語がないと動詞直後=文末ですから~!残念!(古いか)
Commented by L-monger at 2011-06-12 12:18
xiaoqさん、「中国語わかる文法」あちこち探していただき、ありがとうございます。「無主語文」の分類はあの本にもあったのですね。ポピュラーな概念なのでしょうか。

「雨」は主語じゃなくて賓語というのは、中国語の文法において「主語とは文の最初に来るものである」という概念と首尾一貫させるために、いわば「ひねり出された」ものではないでしょうか。

実際、主語が文の最初に来なくてもいい方式の外国語なら、「存現文とは主語が倒置されて動詞の後に来るものを指す」という説明になると思います。西洋語の学習暦が長い私にはその説明のほうがしっくり来ます。

(この入門編、入門者の人はテキストとは別に文法書も参照した方が良いですね。じゃないと頭がごちゃごちゃすると思います。)
Commented by p3-saito at 2011-06-12 20:31
もぅ一寸ひっぱると…(^_^;
辞書に「いってきます」が“我走了”、「いただきます」が“我们吃饭吧”ってのもありましたょ。
Commented by xiaoq at 2011-06-15 12:29
アイヤ、p3-saitoさんと“撞題”(ネタかぶり)になってしまいました、お恥ずかしい。

でもみなさん同じブログにお世話になってるのですね(笑)


今回の入門編の文法説明は中級の上くらいでないと、何の話題かすら分からないのではないか?と思えます。

放送聞いてもテキスト見てもさっぱり関連性がつかめないので、毎日文法書や辞書をひっくり返しています。
学習者の自主性を伸ばす「調べ学習」タイプの講座ですね(良く言えば)。
Commented by L-monger at 2011-06-16 15:47
いやいや、xiaoqさん、おかげさまで皆さんがkirihaさんのブログを高く評価しているということがよく分かりました。

昨日から今日、ちまちま読んでみましたが、kirihaさんのおっしゃる次の部分を読んで自分が大きく間違っていないのが分かり、とてもうれしかったです。

>>> しかし自然現象と違って「上课了!」は呼びかけで、意志が感じられ、必ずだれか動作主が存在すると私は思います。「咱们」,「大家」,「同学们」は主語に成りえるのではないでしょうか。従いまして、一括りせずに細分化するという考え方もあるのではないかと思います。<<<

ところで、xiaoqさんは楊先生の講座を自主学習の元としての使い方をされているのですね(私の場合は専ら「中国語わかる文法」を読むためのきっかけです)。同じだ~とニッコリしました。

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